30年ぶり!?の難波ベアーズ

2025年3月2日に、こんなイベントに呼ばれたわけですが

声が掛かったのが開催まで1ヶ月切っていて正直、出演を迷った訳です。

しかしサーキット会場の1つに「難波ベアーズ」が有ったので

もしかしたらピノキヲはベアーズに配置されるかも知れない。

と淡い期待に賭けて出演を受けたのです。

さてそれは何故か?

少し紐解かせて下さい。


僕は「現在の活動で勝負すべき」と考えているので

ピノキヲ以前にやっていたバンドの思い出話などは公的な表立った場所では

話さない様にしています。

名前を出す事はあっても思い出話まではしてないはずw

もし以前どこかで話していたなら、そういった分別がついてない頃まで遡るんじゃないかなあ?

まあ楽屋では話しますけどねw

特に当時からの付き合いになる情次さんやジンさんと一緒になった時とか。


大阪に出てきて2番目に組んだバンド「空想科学病人~紙とメモ紙」

まだ学生だったのでギリ10代でした。

それの初ライブってのが難波ベアーズだったのです。

しかし!その初ライブの当日!

ベース担当のメンバーが入り時間になっても現れない。

当時の構成は、ヴォーカル、ギター、ベース、の3人編成。

ドラムはヤマハQY20、、、いや買い換えたばかりのQY300だったか?

まあ打ち込みのドラムでした。

その機材を持っていたのもベースのメンバーでした。

なにせ当時は携帯電話なんて無かったし待つしかなかったのですが

リハの時間が迫っても来ない。

そしてベースの彼の家には家電が無かった。

実は僕も無かったんですがねw

いえね当時は家電引くのに「電話加入権」なんていう馬鹿げたシステムが有って

高かったんですよ!

なので地方から出てきて独り暮らしの学生の頃は結構「家電ないよ」って人が多かったんです。

仕方ないのでリハ無しにしてもらって彼の家まで行くと、なんと

「高熱でダウン」でした。

その場でシーケンサーとベースを受け取り会場に戻り

僕がベース弾きながら歌うという形で2人態勢のライブが、紙とメモ紙の初ライブでした。

いくら曲を作ったのが自分とはいえ、ベースボーカルの状態で練習なんぞしてなかった訳なので結果は、そりゃもうボロボロのライブでした。

当時ギター担当だったメンバーは「こりゃ解散かなあ」と思ったそうですw

結局その後、練習スタジオのイベントに出て、1学年後輩の子が「コピーバンドやってるんですけど対バンで出て」と誘われたのに出てと2回ほどライブして

卒業後にライブハウスにブッキングで出演するようになって、メンバーチェンジや加入とか有りつつ数年活動は続いたんですけどねw


「初ライブがボロボロに終わった場所」という印象が強いベアーズなのですが

当時、関西、、というかベアーズを震源地として

ノイズ、ローファイ、スカムなんて名づけられたシーンが注目されていた訳です。

ボアダムスが世界的にも評価されて、そのボアダムズのメンバーの山本精一氏が店長を務める箱で、そのシーン的には聖地といってもよい箱な訳です。

僕自身、そのシーンにも大きな影響を受けていて

スーパーボールを観て「楽器持たなくてもライブってしていいんだ!」

パラダイス・ガラージ(豊田道倫)を聴いて音楽の持つ表現方法に悩んだり

色々な「変な人」を観て「ナゴムより深い場所がある」と見聞を広げた時期でした。

お金ないのにアメ村に有った(今もあるんかな?)

TIME BOMBってレコード屋で色々と買い漁ったなあー。

そういや当時使ってた練習スタジオが少年ナイフも使ってて偶にロビーでお見かけする度に

ドキドキしたなあw

その後、セオリー通りにジョンゾーンなどにもハマる訳ですが

現在そのジョンゾーンと仕事してたりの坂出さんと知り合いピノキヲの1stアルバムで

自分が一緒に仕事する事になったりと、まあ、ちょっとグッと来るのと同時に

時間の経過も感じる訳ですがw


そんな10代終わりから20代初期のベアーズで最も印象的なのが

DROOP

という、あまりにもカッコよくて天才で早すぎたバンドを知り

その1stワンマンを観に行った事です。

1stアルバム「Loye Loye」で衝撃受けて2ndアルバムが出る前後にやったワンマンだったかな?

前述の高熱でライブ飛ばしたベースの彼と2人で観に行って大興奮で帰ったのをよく覚えています。

2ndアルバム「Punish Pungent World」でDROOPは、その天才っぷりを叩きつけてきて

あ、こりゃ僕らには敵わない相手だ。と思いました。

1stの頃の「目の周り真っ黒で全員ボロボロのウェイティングドレス」は

まだ想像の範囲内だったけど(そのルックスでワーロックギター下げて出す音がハードコアなんだもん、そりゃ衝撃っすよ)2ndアルバムのコンセプトは97年の国内シーンでは

相当に先行ってるよね。しかも出てくる音が、何をどうにも形容出来ない音楽なんだもん。


そんなこんなで多感な時期に様々な物を吸収した訳ですが

やっぱりね

「初ライブがボロボロだった」

って事が、まあ今でも悔しいというか心残りというかw


そして50代を迎えるこのタイミングで、もう一度、30年ぶり?にベアーズでライブが出来る。

なんかこう、10代から自分の中に残ったボンヤリした物がようやく精算出来る。

といいなあw。


な気持ちで40代最後のライブに望みたいと思ってます。


3/2(日)大阪・難波ベアーズで17時よりピノキヲです。

ぜひ観てね!

水色時代

セガ・ドリームキャスト1台で音楽制作する世界唯一の音楽ユニット「ピノキヲ」の公式サイト