しのぶさん、の事。

僕が普段よく出演しているライブハウス。

ML.濱書房のスタッフさん、小野寺忍さんが2025年3月2日に亡くなった。


皆さん的には

濱書房のPAさん。

濱書房の入場整列の時に対応してくれるお兄さん。

ARTPOP ENTERTAINMENT関連イベントのスタッフさん、PAさん。

そして自らも舞台に上がるジョニー・パイソン氏


こういった位置づけの人だろうか。

僕はずっと「しのぶさん」(漢字じゃなく平仮名のイメージ)と呼んでいたので

ここでも、しのぶさん。と表記。

僕が、しのぶさんという人を覚え関わる様になったのは7年間クラッシュに呼ばれない期間が

明けてからだったかな?

もしかしたら大昔に無恥鞭アナゴでルート14に出た時に会っていたのかなあ?

それとも7年干され事件の前の白塗り学園やクラッシュで既に会ってたのか?

会ってたとしても、ちゃんと交流しはじめたのは、7年明けからなのは確か。


多くのバンドさん、スタッフさんと接して来ましたが

正直さほど交流上手ではない僕なので

「あ、この人たぶん同じ」「話合うはず」「思考が似てるだろう」とかの嗅覚は発達しちゃって外れる事が少ないんです。

しのぶさんも、そんな1人でした。

そして、しのぶさんはピノキヲを馬鹿にしなかった。褒めてくれた。

舞台上でipod置いてオケ流すスタイルだと、明らかに小馬鹿にした対応してくる箱スタッフさんも少なくないので、嬉しかった。


2CHステレオオケでライブハウスで最良の扱いやすいミックスはどうするべきか?

マイク関係の機材の相談、そんな話も聞いて貰った。

それ以上に見た映画の話、マイナーな役者の話、漫画の話、街に居る変な人の話、

コンプラ的に表でしにくい馬鹿話。

沢山の話をした。


近年はバンドマンも喫煙者が減り、共演者によっては濱書房の喫煙所は僕としのぶさん2人しか使わない日もあった。

そうすると余計に沢山の話をした。


ライブのMCで客席は無反応でもPA席で、しのぶさんが笑ったのが見えたら「よし!今日は勝ち!」なんて思ったりした。

結局、僕はしのぶさんを信頼しちゃってたわけです。

なので1stシングル「セガのゲームは世界いちっ!」は

しのぶさんにレコーディングをお願いした。

「月世界フィルム」を凄く良いライブだと褒めてくれたしDVD編集をお願いした。

「ラジオみたいな夜に」も喫煙所で「こういう設定の1人芝居とか思いついたんですけど」と

言ったら「面白そうすね!やりましょうよ」と言ってくれたから、その場で箱を押さえた。

公演も凄く褒めてくれた。

「うゆにーらんど」も毎回褒めてくれた。

いつも僕の、ぼんやりしたアイデアを言うだけで「僕がやりたい事、意図」を瞬時に理解してくれた。


最後に濱書房であった日。

「やっぱり通常ライブしてる時の、おにいたまカッコいいんすよねえ」

とボソっと褒めてくれた。

ずっとPA席から何百というバンド見てる人間から、これ言われるんだよ?

めちゃくちゃ嬉しいに決まってんじゃん。

帰り際、今度誘いたい企画があるって話もされた。

芝居ぽい事のネタがあって、いつかそれ演りたいから

その時は僕に演出・脚本お願いしたいって。

それとは別に、実現したいブッキングもあるからソレも連絡しますって。


けど、もう居ないんだって。


哀しいとか寂しい。勿論その感情もあるよ。

けど、


「もうーー!なんで居ねえんだよ!wwwこんな面白い事思いついたのに!しのぶさんに言いたいのに!ww」


と、これから色々な場面で思うんだろうなあ。


だって「50歳ランドセル」とか見てほしいじゃん!

「ピノキヲ25周年」だって見せたかったじゃん。

「ラジオみたいな夜に」に続く公演も見せたかったじゃん。

「うゆにーらんど」の答え合わせ編もあったじゃん?

新たなPAさんに1からピノキヲがどういう物か説明しなきゃじゃん!


もう!なんで居ねえんだよ!ww


ていうか!

誕生日前夜にこんな文章綴らせるとか何なんすか!www

本当にもう!



まあ実はコレ


ARTPOP ENTERTAINMENT25周年企画の壮大なドッキリだと思っておきますね!



ありがとう。しのぶさん。

おやすみなさい!






水色時代

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