一度は決別した超有名RPG。



現在、時間さえあればドラクエ10ばかりしている僕ですが

実は一度「ドラクエ」と決別した事があります。

それまで任天堂機で発売され続けていたのにアッサリとプスでの発売を発表した

「ドラクエ7」

この時からです。


ファミコンで発売されたドラクエ1。

当時、高価だったPCユーザー(当時はマイコンユーザーって言い方でしたが)だけが
愉しめる代物だったRPG。

海外製のウルティマに代表されるコマンド選択式。

シューティングやアクションばかりのファミコンユーザーには異質な物でしたが
シンプルに分かりやすく仕立て上げられた「ドラクエ」はその後RPGブームを形成したエポックメイキングな作品でした。

当時、30万-40万する高価なPCでしか遊べなかった物だけにPCユーザーは
「ふふん、今更RPGとか言って騒いじゃってさ・・」みたいな事を言う人も多かったですね。

そしてアクションゲーム等と違い「謎解き」の部分が有る為に
「ゲーム雑誌に情報公開の規制」をさせる様になった切っ掛けにもなったのが「ドラクエ」でした。
「業界」としてのルールが曖昧だった「ゲーム業界」に一気にルールが整備されていった時期でしたね。

そしてネットの無かった時代でしたので「口コミ」だけが攻略情報の入手手段でした。

学校に行けば「いまLVいくつ?」から始まる情報交換。
少しでも友達が先に進んでるなら「わーそれ以上言うなよ!」と云ったやり取り。

「兄ちゃん(中学生)の友達がクリアしたらしいよ」と言う奴が居よう物なら

「御願い!このキン消し(キン肉マン消しゴム)上げるから「太陽の石」の場所だけ聞いてきて!」

なんて、やり取りもきっと全国の小学生がやっていたはずである。
いや、今思い出しても「太陽の石」の場所は難問過ぎだろ!と堀井雄二に言いたい。

現在みたいに「ゲーム名 攻略」と検索したら
全部載ってるサイトに簡単に辿り着く時代では無かったので

1つのゲームに対しての「共有感」は楽しかったし、もう味わう事の無い文化なんだろうと少し寂しい気もします。

そんな「ドラクエ」が6までを任天堂機で発売され続けて
勿論、僕も6までは遊んだ訳ですよ。

スーパーファミコンで最初のドラクエ「5」の時は高校生だったのですが
出席日数がギリギリで単位が危なかった1時間目の数学が終われば

「どちらが早くクリア出来るか?」と競っていたクラスメイトの松浦くんと2人して
「ドラクエするから帰るわー」とサボタージュしてたりも良い思い出です。

そして時は流れゲーム機は32bit戦争時代。

1997年。「一番売れてるハードでドラクエ出すから」と「ドラクエ7」はプスで発売する事が発表されました。

既にSEGA脳だった僕は此の発表に怒り嘆き悲しみ
セガサターンで「エアーズアドベンチャー」を泣きながら遊ぶといった苦行に時間を使いました。

「エアーズアドベンチャー」がどういった物なのかは適当にググれ。

ドラクエ7自体は開発に時間が掛かり過ぎてプス2発売後の盛り上がってる最中に
発売されたためライトユーザーに混乱が有ったのか

ゲーム屋の店頭で「ドラクエ7はプス1用ソフトです」なんて張り紙を結構見かけました。

そんな塩梅で僕は7,8,9と未プレイなんですよね。

9は任天堂機に帰って来ましたが(DS)なんとなく僕の中で
「ドラクエは据え置き機で遊ぶ物」という考えが有り未プレイのままなのです。

そしてこの「一度ドラクエと決別する切っ掛け」となった7が
3DSでリメイクされ2013/2/7に発売されるとなっている。

んんー遊ぶべきなのか知らずのままで居るべきなのか悩む所です。




水色時代

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